2020年4月27日

仏教各宗派について(華厳宗編) タイトルをクリックすると本文に移動します。

「華厳経」の教えに基づいて開かれた宗派で中国の僧審祥が奈良の金鐘寺で「華厳経」
を講義したのが始まりとされています。「華厳経学」では仏教本来の縁起説を発展させ
た「無尽縁起」を説いています。本尊の「毘盧遮那仏」の象徴である太陽の光が重なり
あってもおたがいが妨げにならないように、宇宙の万物は無限に関係しあって存在して
いるという世界観があります。

2020年4月27日

仏教各宗派について(律宗編) タイトルをクリックすると本文に移動します。

中国の唐時代に道宣によって、大成された大乗仏教の宗派の一つで、鑑真によって伝えられました。
仏教の教義研究を主とする学問仏教の宗派です。鑑真は東大寺に日本で初めての戒壇院を設け、又
戒律を修める根本道場として唐招提寺を開き布教に努めました。戒律に基づいて身・口・意の三つ
の行為おいて実践していくのが仏に至る道と説いています。一時期には、真言宗に包括されたこと
もありますが、後年独立し、又一部が真言密教と融合して、真言律宗として独立し西大寺を総本山
としています。

2020年4月22日

仏教各宗派について(時宗編) タイトルをクリックすると本文に移動します。

一遍上人が熊野権現で受けた神託で「自分が衆生を救うのではなく、ただ阿弥陀仏
によって既に救われていることを人々に告げるだけだ」と気づき」阿弥陀仏の絶対
の救済性を確信しました。この年(1274年)が立教開宗の年とされています。
一遍上人はこの他力念仏をすべての人に勧め、生涯「南無阿弥陀仏」と記した名号
札を配りながら、全国を歩き信徒もまた集団でこれに従ったとのことです。
子の信徒を「時衆」といい、後に「時宗」と呼ばれるようになったのです。時宗の
「踊念仏」はすでに救われていることの喜びにあふれ自然発生的に生まれたものと
言えます。

2020年4月22日

仏教各宗派について(黄檗宗編) タイトルをクリックすると本文に移動します。

隠元は中国臨済宗の人ですが、中国黄檗山万福寺の住職を辞して江戸初期に来日し、
徳川四代将軍家綱より京都宇治に寺領を賜り中国と同じ山号の黄檗山万福寺を創建
して開宗しました。
臨済宗の宗風に「念仏禅」を加えた隠元の教えは、往生浄土や念仏等の浄土教協議
を合わせて説いています。坐禅によって心身の統一をはかり、労働奉仕のよろっこ
びを覚え、朝夕の写経によって自己反省を促し、厳格な食事作法に一粒の米の尊さ
を教えるなど日常生活の精進を強調しています。

2020年4月22日

仏教各宗派について(日蓮正宗編) タイトルをクリックすると本文に移動します。

日蓮の六老僧のひとり、日興によって開宗された日蓮宗の分派で富士門流の系譜をひき、
静岡県、富士宮市の大石寺を総本山としています。
創価学会はその信徒団体として昭和12年に発足しました。
他宗と違ってこの布教の特徴は現世利益の追求にあり、一般大衆庶民のこころをつかみ
急速に組織を拡大し、現在では公称会員数1689万人を擁する巨大な組織となっています。

2020年4月22日

仏教各宗派について(曹洞宗編) タイトルをクリックすると本文に移動します。

八世紀の始めごろ中国にできた曹洞宗を道元が日本に伝えたものです。
道元は比叡山で天台教学を修め、栄西の弟子になって禅を修めたのち、中国の宋
にわたり3年間の修業を経て帰国。京都の建仁寺に入り、「座禅こそ安楽の法門
である」と説き、やがて京都深草に興聖寺を建立、ここを拠点に曹洞宗の禅風を
広めていきました。
1244年には越前の永平寺を開山し、ここを曹洞宗の根本道場とさだめ、新たな教
化活動をおこし「正法眼蔵」という大著を執筆しました。
「只管打坐」を強調し、雑念を交えず座禅するその姿が仏だと信ずること(即身是
仏)を宗旨であるとしています。

2020年4月22日

仏教各宗派について(日蓮宗編) タイトルをクリックすると本文に移動します。

日蓮は房総半島の南端現在の千葉県安房郡天津小湊町で生まれたと伝えられています。
16歳で出家、比叡山をはじめ奈良や京都の寺で修業を重ねました。日蓮はこの遊学の
中で「法華経」こそが釈尊の説く最高の経典であると確信するに至りました。
建長5年(1253年)4月28日日蓮が少年期に学んだ故郷の千葉県清澄山にこもり、清
澄山頂で「南無法蓮華経」と高唱した時を立教開宗の年とされています。
やがて正嘉元年(1257年)鎌倉で大地震に遭遇し末法の世を憂いた日蓮は「立正安国
論」を著し辻説法を続けましたが、鎌倉幕府によって伊豆や佐渡に流されたり、数々
の法難を受けました。

2020年4月21日

仏教各宗派について(臨済宗編) タイトルをクリックすると本文に移動します。

中国時代の高僧・臨済義玄を開祖とする禅宗の一宗派です。日本に初めて臨済宗を伝え、
日本臨済宗の開祖となったのは、明庵栄西です。
栄西は14歳のとき比叡山で天台宗を学び後二度にわたって中国で修業、1191年帰国後
禅の布教を開始しました。
人間の心の本性を知り、それが仏と同一であることを悟るのが成仏だとする教えで、
修業を強調し、日常生活で労働(作務)を尊び、坐禅を重んじています。
臨済宗の禅風には大変厳しいものがあり教化の特徴を示す言葉として「臨済の喝、徳山の
棒」といわれます。
坐禅を組み、修業している僧たちに対して臨済がよく大喝を与え、徳山がよく痛棒をくわ
えたことを指しています。

2020年3月25日

仏教各宗派について(浄土真宗編) タイトルをクリックすると本文に移動します。

親鸞は9歳で出家、比叡山で20年間修学ののち法然の弟子となって「専修念仏運動」に身を投じました。
1207年、法然とともに流刑に処せられ、親鸞は越後で4年間配流生活を送り後20年余り関東地方で布教
に専念しました。
布教の一方で「教行信証」を著しており、この著作時をもって、浄土真宗立教開宗のとしとしています。
「南無阿弥陀仏」と唱えることで浄土に往生できると説いた法然の行としての念仏をさらに一歩推し進
めたもので、念仏自体も自力ではなく弥陀の本願力という他力によるものとしています。
親鸞の絶対他力の念仏は、自分の意志やらなければならない念仏ではなく阿弥陀仏の絶対的な救済に対
して思わず自然に発する、報恩感謝の念仏であると教えています。
「歎異抄」は親鸞の語録を集めた書で、その中に「悪人正機説」というのがあります。煩悩を持つ凡夫
罪を犯した悪人でも、浄土で往生が可能であると説いています。

2020年3月13日

仏教各宗派について(天台宗編) タイトルをクリックすると本文に移動します。

最澄(伝教大使)は804年唐の国へ渡り、天台山で天台教学(円宗)を伝授され、
同時に真言密教、禅、戒律も学んで1年後に帰国、比叡山で仏教の総合化を目指し
て日本天台宗を開創しました。
後の鎌倉時代には、この比叡山に学んだ法然、親鸞、道元、日蓮などが念仏、禅、
題目といった要素を純粋化し、それぞれ新しい宗派を開くことになったのです。
最澄は法華一乗説を中国で本格的に勉強し、日本に伝えました「一切皆成」すなわ
ちすべての人は成仏する可能性があることを明言しています。つまり仏教を理解で
きない人でも、方便としての易しい教えから説きはじめ、これらの方便の諸説も
すべて一乗の教えの中に包括し、救いとることによって衆生をあまねく成仏させる
ことができると説いています。